2015.9.14

一週間ぶりの日記。友人が泊りに来ていたり、展示中のカフェで友人夫婦が一日食堂を営んだり、友人たちが来訪したりと、とても人に会っていた。
一昨日近くのホームセンターで網を買い、飼い猫に破壊された家中の網戸を張り替える。一日仕事。

我々は好むと好まざるとに関わらず運命共同体なのであるから、お互いがストレスを作らぬよう努力までとは言わないが、意識はするようにしようではないかと飼い猫どもに提案する。深妙な顔つきでじっと聞いていたので承認を確信し、安心して台所に立つ。直後、バリバリという不快音。雌猫おろちが張り替えたばかりの網戸を破壊しようと全力で網戸に登っている。視界をクリアーにというキャッチコピーが付いていた黒い網戸に張り替えたため、猫が珍妙に宙に浮いているように見える。などと思っている場合ではないと思い、全力で阻止。提案は承認されたのではなく、無視されたようである。

今朝、雄猫スピカが寝ていた友人の顔に肛門をつけたとのこと。スピカは毎朝その行為を私に行っている。それを私は愛情表現だと思っていたのだけれども、単に毎朝肛門が疼くため私の顔を利用していたのかもしれない。若しくは私と友人を間違えたのかもしれない。どちらにせよ、今後私とスピカの関係性に影響が出ると思われたので、考えるのをよす。

昼に泊まっていた友人が発つ。夜は別の友人宅へ。ブルガリアの気さくな女性作家が来ていた。みんなで食事と団欒。最中に巨大なゴキ。友人絶叫。抹殺を命じられ、男性の友人と連携して退治。夏の終わりの思い出作りになったという結論に。ブルガリアの作家は魚のような目で一連の出来事を見ていた。
深夜帰宅。日記をつけて就寝。

2015.9.4

町田康の「常識の路上」読了。

ひとつひとつの物事の読みが一層も二層も深い。特に堕落への道のりの章が面白かった。他の章での人同士の交流についての記述。「欠けを欠くということは欠くべからざる全体をも同時に欠くという残念な結果をもたらす」という一文に胸を突かれる。
夕方までただ転がっていたのだけれども、あまり快復に向かっている感じがしないので、起きて掃除と洗濯。夕方作って食べたら少し回復。

いつもその時の制作の最終地点で、技術と精神状態と体力が集結した一点になって、他次元があるにせよひとつの頂点に達する。しかし期日と体力によってそれから先を続けたことがなかった。一度降りてしまえば、また登山道の入口からだ。そして同じ登山はつまらないので、他の登山に切り替える。

そのようなことの繰り返しであった。けれども、自分が頂点だと思っていたところが、本当の始点であるような気配を以前から制作が終る度に感じていた。色々極まっているし、この際やってみようという気に。多少痛みが増えたところで、どうということはない。

眼前でおろちが網戸を食い破って脱出を試みているが、もはやどうでもよい。既に網戸は大幅に破れているし、ここで一喝しても無駄なことは経験で知っている。私にも少しばかりではあるが、経験知はあるのだ。

町田康が本中で書いていたルー・リードを聴きながら読書しつつ今日はもう就寝に向かう。

2015.8.31

午前中準備の完了に向けた作業。

最近お世話になった印刷所にまた頼むことに。ついでに友人に美味しいと聞いた近所の担々麺を食すために楽しみに早めに家を出る。店休日であった。

まだ印刷所との約束の時間には早いし、空腹のため向かいにあった古めかしい藪蕎麦屋へ。十割の田舎蕎麦蒸篭。どうやら名店だったようで、わざわざ食べに来たような集団が。なるほど、安く美味しかった。店内も静かで広く明るい。二階から通りを見渡せるし、飾り気が古めかしい感じがかえって落ち着く。蕎麦湯を啜りながら、暫しぼんやり。

印刷所に行くとあゆきさんと名前を覚えていてくれて、少し嬉しい。待っている間に、奥で猫について熱く語るおじさんたちが。猫と同居している私としては混ざりたかったのだけれども、あんまり熱心に話しているので、横入りして邪魔をするのも悪いし、大声で話しているためわざわざ混ざらぬとも話は聞けるので傾聴にとどめることに。どうやら最近ご自宅の庭で野良猫が子猫を生んで、子育てを手伝っているようである。ハムスターみたいなんだよ!と何度も言っていた。

印刷が終わり清算。予想外に高額で、しまった、先に聞いておけば良かったと思いつつ、いい用紙なんですねーなどと皮肉っぽい言い方をしてしまい、それにまたしまったと思っていたら、単なる計算ミスであった。半額以下に。言って良かった。

明日の搬入の準備も早めに終えたし、ゆっくり入湯。空腹だけれども食べたい気分でなかったためバナナを一本食べて日記をつけ就寝。

8月最後の日。
とてもエネルギッシュで、その分エネルギーを使った夏だった。

2015.8.30

夕方まで作業。やっと終盤に。

展示が始まったら、遅めの夏休みを取って何処かへ行こうかなと考える。青春18切符がいい。私は切り替えることより、馴染んでゆくことの方が性に合っている。一定の距離と時間により出来るリズムが身体に入ると、とてもリラックスして移動そのものに委ねられる。

そういった私の性質がゆえだろうけれども、仕事とプライベートを分けるとかスイッチを入れるとか割り切るとか、そういうことがいまいち実感としてはよくわからない。以前は羨ましく思っていたけれども、今は諦めた。

作業も先が見えたし、気分転換に日暮里の祭に出掛けたが雨で気分は萎えて、北千住で誕生日に発刊された町田康の新書「常識の路上」を購入し、声をかけた友人らと会うことに。巣鴨のチャカデビプルジャへ。

夜遅くに帰宅。神託カードをひく。最近は風を読めとかビジョンだとか、方向性についての内容が多い。自意識過剰な私には割と苦手分野なのかもしれない。真面目に考えよう。

今夜は満月。承認の日。制作を終えたことは認めるか。

2015.8.28

一日中作業。
合間に材料の買い出しに近くのホームセンターへ。ついでに西新井大師に寄る。真言が書いてあって、唱えてみる。3の倍数唱えるらしい。9回唱えたら、何だかすっきりした気分に。おみくじ。末吉。金運よし。最近何をしても金運よしと言われる。楽しみ。

居間のテレビと照明がしばらく点かなくなる。やはり私が電気的なものを持っているのだろうか。もうこれ以上機器類が壊れるのは勘弁してほしい。いくら金運よくても勘弁してほしい。

少し前に作業部屋の模様替えをしたのだけれども、家具の配置により猫が天袋に行けなくなっていた。しかしここ数日どうやらかつての好場を狙っているようである。けれども足場などは皆無だし、高さ的にも無理であろうと高を括っていた。が、私が作業をしている横で愛猫おろちが決意した面持ちの直後に飛び上がり、危なげながらも天袋へ。驚愕した。
以来イケるとわかってからは、難なく上がっている。経験知というものを目の当たりにして、思わず腕組みする。

今夜は気圧が不安定なせいか耳鳴りと少し頭痛。シトシトと雨の音が落ち着くので、窓を開けて就寝。

2015.8.27

一日中作業。夜気分転換に友人宅に。気分転換になった。

自分の傲慢さと虚飾と自意識過剰について考える。シンプルさが必要。生放送で殺人を犯して自殺したアメリカの事件。決して他人事ではない。

夜見るスカイツリーがきれい。秋の風が気持ちいい。夜空が薄っすらと紫がかっている。星が見えない夜空。それだけのことだ。

今は責任を全うすることに集中せねばならない。作業に戻る。

2015.8.25

一日中作業。
今日は一気に秋に変わったような日。昼食に温かい味噌汁。二階で寝ていた猫どもが煮干しの匂いを嗅ぎ付け興奮。一喝した後提供。録画していたおもひでぽろぽろを途中まで観る。

寝屋川の事件。
最初にyahooニュースで見た時から、とても嫌な気がした。全身に鳥肌。だから最初は関連ニュースを見るのを避けていた。事件性に全く感情的なことを感じなくて、それがゾッとする。ニュースには一切影響されないようにしているけれども、この事件は自分の負の部分が強烈に引っ張られる感じがする。

作業の合間にこの日記をつけているのだけれども、静かに雨が降り始めた。
屋根から滴り落ちる水滴の音がリズミカルで心地いい。
音楽をニール•ヤングに変えて作業に戻る。

2015.8.22

図書館。作業。
夜祭に太鼓見に。
近くのカフェバーへ。

今ベランダで日記を書いているのだけれども、その間に手の平を蚊に刺され、不快。
今日はとても感情的な日。
こういう時は作業に救われる。

夜風が心地よい。
月もきれい。